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2022森の学校 男鹿寒風山トレッキング

 2022年5月24日(火)、森の学校「男鹿寒風山トレッキング『高原の風に誘われて』」が男鹿市寒風山で開催された。参加者は44名。寒風山は低山だが、展望台あるいは板場の台から眺める火山の箱庭や大きな岩を積み上げたピラミット形の鬼の隠れ里、第二火口にそびえる姫ヶ岳など起伏に富んだ地形は、絶景の連続であった。さらに多様な草花や昆虫、野鳥のさえずり、数々の伝説に加えて、200年前の寒風山や旅の途中で遭遇した大地震の様子を記録した「菅江真澄の道」など、新たな発見を楽しみながらトレッキングを満喫した。
  • 主催/秋田県森の案内人協議会
  • 協賛/(公社)秋田県緑化推進委員会 
  • 協力/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン
  • トレッキングコース・・・寒風山展望台直下駐車場スタート~寒風山展望台~男鹿ゴルフCC入口~板場の台~鬼の隠れ里~蛇越長根~風穴~回転展望台駐車場
  • 寒風山展望台直下駐車場集合 
  • 求愛中のホオアカ・・・赤い頬がトレードマーク。駐車場周辺の草原で、「チョッ チィ チチュ チュチョリチチ」と盛んにさえずり、♀に求愛していた。秋田には、夏鳥として渡来し、平地から山地の草原や河川敷、農耕地で繁殖する。繁殖期は5~7月。食性は雑食で、昆虫類、節足動物、果実、種子などを食べる。 
  • 展望台から火山の箱庭を望む・・・寒風山は標高355mの火山。火山活動は今から3万年以上前に始まり,何度も繰り返された活動で安山岩の溶岩が積み重なって次第に大きくなることで今の形になったという。現在は、第1火口、第2火口、妻恋峠火口の3つを望むことができ、「板場の台」では溶岩の流れた痕跡なども観察できる。
  • 菅江真澄の寒風山登山・・・1804年8月21日、雄潟の渡しで天王から船越を経て寒風山に登っている。「男鹿の秋風」には、「昔はこの寒風山を妻恋山、また羽吹風山(はぶかぜやま)とも呼んだという伝えがある。よじのぼってみると八尺余の九層の石塔がある。どれほどの年を経たものか、苔が幾重にも生えていた・・・この寒風山の麓は湖と海に取り囲まれていて・・・素晴らしい眺望であった」
  • 山名の由来・・・かつては、「かんぷうざん」ではなく「さむかぜやま」あるいは「妻恋山」と呼ばれていた。その由来は、京より下向した高貴な方が、夜、寒風山の上で鳴く鹿の声を聞いて詠んだ、「あしびきの山の秋風寒き夜になお妻恋の鹿ぞ鳴くなる」の「寒」と「風」をとって名付けたとされている。また、この歌にある「妻恋」をとって「妻恋山」と呼ばれていた。
  • 菅江真澄図絵「寒風山の頂」(秋田県立博物館蔵写本)・・・図絵説明文には、「寒風山の頂上に石の塔が建っている。石塔長根と言う谷間に古玉の池、新玉の池があり、また隠れ里という石積みの場所もある・・・」
  • 多様な植物を観察しながら、ゆっくり歩く 
  • アズマギク・・・秋田県RDB準絶滅危惧種
  • ハルザキヤマガラシ・・・ヨーロッパ原産の要注意外来生物
  • フランスギク・・・ヨーロッパ原産帰化植物
  • 花によくやってくるジョウカイボン・・・カミキリムシに似ているが、ハネが柔らかい。
  • ハチに擬態したハナアブの仲間、美しいイタドリハムシ
  • ツマグロオオヨコバイ・・・子どもたちに「バナナ虫」と呼ばれる人気者
  • コガタルリハムシ・・・スイバやギシギシで見つかる。成虫で越冬し、早春から明るい草地に現れる。
  • ウマノアシガタ・・・・・・ウマノアシガタは、葉の形が馬の足形に似ているからといわれるが、むしろ鳥の足形に似ている。「鳥」と「馬」の文字を間違えて記したことから、「馬の足形」になったという説がある。
  • コウゾリナ・・・茎を触るとザラザラする
  • 展望台から火山の箱庭に向かって下るルートは、満開のタニウツギの花々が延々と続く。秋田では、この花が咲けば人気の高いタケノコ採りシーズンがスタートする。かつては、若葉を蒸してから乾燥保存し、飢饉の際の救荒植物として利用された。雪国の美しい花だが、火事を呼ぶとも言われ、家に持ち込んだり、庭に植えることを忌み嫌う風習がある。  
  • ヒョウタンボク・・・ 花が白色と黄色に変わり、白色と黄色の花が同時に見られることから別名キンギンボク(金銀木)とも呼ばれている。液果は、2個がヒョウタン形になるのが名前の由来。赤く熟すと美しいが、猛毒なので注意。
  • カマツカ・・・鎌の柄に使われたことから、「鎌柄(カマツカ)」と書く。牛の鼻輪をこの木で作ったことから、別名ウシゴロシと呼ばれている。
  • ウツギ・・・茎を切ると中が中空だから「空木(ウツギ)」と書く。小学校唱歌「夏は来ぬ」の冒頭に「卯の花におう垣根に・・・」と歌われている「卯の花」は、ウツギの別名である。 
  • アキグミ・・・花の色だけでなく、葉も白っぽい緑色で、全体が白っぽく煙ったように見える。名前は、秋に果実が赤く熟すグミの仲間に由来する。
  • サルトリイバラ・・・ルリタテハの食草。
  • サンショウ・・・アゲハチョウの食草。
  • ヒメイズイ・・・アマドコロの仲間で、背丈が10~30cmと低く、清楚な白い花を吊り下げる姿が何とも可愛い。 
  • 火山の箱庭「板場の台」・・・周囲よりも平らな場所は、板場の台と呼ばれている。波打つような地形は「溶岩じわ」、土手のような地形は「溶岩堤防」と呼ばれ、妻恋峠火口から流れ出た溶岩がつくり出したものだという。溶岩じわは高さ2m、溶岩堤防は高さ5mほどある。ここは火山地形全体を観察する絶好のスポットと言われている。 
  • 板場の台・・・板場の台とは、料理場の跡という意味。その名の由来は、3つの説がある。①昔、狩りに来た殿様の食事を作った場所 ②鬼が料理を作る場所 ③地形が周囲に比べて平らなため、まな板のような場所であるという例えから付けられたとの説がある。  
  • 四囲を遮るもののない高原の尾根歩き・・・眺望が素晴らしく、藪からはウグイスの美声が絶え間なく鳴り響き、高原を渡る風がすこぶる気持ち良い。
  • 谷底にある鬼の隠れ里を向かって急坂を下る。
  • 鬼の隠れ里(石倉)・・・巨岩が積み重なった所は、溶岩ドームの崩壊によってできたと考えられている。男鹿の鬼たちが積んだという大きな石山、そのどれかを押せば、カパッと開いて、中が畳三畳ほどの鬼の岩屋に通ずるとも言われている。地元では、石倉と呼ばれている。
  • 菅江真澄「男鹿の秋風」・・・峰から真下りに下りてくると、石倉とか、隠れ郷といって、たくさんの大岩が山のように落ち重なっているところがある。この中に窟のような洞穴がある。「さあ、はいってみよう」と言いながら、みな、頭ばかりさし入れて覗き見て、「ああ、暗いこと」といって、誰も自分が入ろうという者がなかった。どこにもある昔の穴居の跡だろうか。
  • シロバナニガナ、ヌルデ 
  • 蛇越長根・・・寒風山の2つのピークのうちの1つ、姫ヶ岳(標高337m)の火口は古玉の池と呼ばれ、大蛇にまつわる伝説がある。昔、火口には水が溜まっており、望まない婚姻を強いられたお玉という娘がこの池に身を投げ、池は玉の池と呼ばれるようになった。お玉は大蛇に姿を変え、この池は徐々に干上がってしまったため、新玉の池に移動した。その時通った峰が蛇越長根と呼ばれている。 
  • 蛇越長根から姫ヶ岳に向かって急登が続く。度々、休みながら登る。 
  • ホタルカズラ・・・花は鮮やかな青紫色で、裂片に白い5本の稜がある。和名は、草むらの中に点々とつける花の色をホタルの光にたとえたことに由来する。その名のとおり、心奪われる美しさがある。
  • フタリシズカ、ヒロハヘビノボラズ
  • クルマバソウ、ミツバアケビ
  • ウラシマソウ・・・肉穂花序の先端の付属体は、釣り糸状に長く伸びるのが特徴。その花の形が浦島太郎が釣り糸を垂らしている様子に似ていることから、浦島草。
  • ヒロオビトンボエダシャクの幼虫・・・ニシキギ科の葉を食べる。
  • アワフキムシ・・・植物の茎についた白い泡は、アワフキムシの幼虫がつくった隠れ家である。幼虫は、植物の茎に針のような口を刺して汁を吸う。その栄養分を濃縮し、余った水分を排出する。幼虫のおしっこのアンモニアとお腹から出したロウ物質を混ぜて粘液をつくる。そして、その液を泡立て、さらに特別なタンパク質を加えて強くする。この泡は、敵が近づくのを防ぎ、外からの熱が伝わるのを防いで巣の中の温度を一定に保つ。雨や風に流されることもなく、日照りで干からびることもない。オシッコでつくった魔法のような隠れ家と言える。
  • 糞虫の一種・オオセンチコガネ・・・金属光沢のある美麗種。獣の糞の上で交尾する♂と♀に出会った。獣糞には、未消化の種が入っている。糞虫は、糞という肥料と一緒に植物の種も地中に埋めてくれる。つまり、森林生態系の中の糞虫は、糞を分解するだけでなく、種子散布にも貢献しているのである。
  • 姫ヶ岳山頂・・・寒風山の2つのピークのうちの1つで、標高337m、手前に第二火口がある。ここで昼食、大休止。
  • 森林セラピー体験・・・仰向けに寝そべって目を閉じ、風の音、ウグイスの声を聞きながら、しばし眠る。こうして五感で味わう高原のパワーで、疲れた心と体を癒すことができる。 
  • ツチハンミョウ、ヤマグワ 
  • レンゲツツジ、ヒメハギ 
  • ミツバツチグリ、黄色と黒が鮮やかなヤツボシツツハムシ 
  • 閉会式 
  • 参考:地震塚・・・男鹿半島を襲った地震の供養碑や復興記念碑、冷害による飢饉の犠牲者の供養碑など、5基の石碑が並んでいる。最も古い石碑は、1810年8月27日(旧暦)、寒風山を震源地とした大地震によって犠牲となった人々を供養するため作られた。
  • その大地震の記録、菅江真澄「男鹿の寒風」・・・午後2時過ぎ、大きな地震が起こった。軒、ヒサシが傾き、人々は戸外に逃げまどい、泣き叫びながら病人や老人の手を取り、乳児を逆さに抱えて走り回る者もある・・・立っているとふり倒され、軒端の山も崩れ落ちるありさまで、生命の危険を感じて、樹にすがり、竹の林に逃れた・・・なお余震は収まらない・・・どこの村も残っている建物はないほど、ほとんど倒壊してしまった。とりわけ脇本・船越などの家は、すっかり皆倒れてしまい・・・男鹿半島南海岸は、わけても地震が強かったようだ・・・寒風山の塔の峯のあたりは陥没して落ち窪になったようである・・・ようやく10月になったが、なお地震は続いていた。寒風山の麓に卒塔婆をたて、地震で死んだ人たちの霊をまつる供養が行われた。
  • 図絵に描かれている寒風山の石塔は、この大地震で倒壊したことが分かる。
参 考 文 献
  • 「男鹿中郷土史」(男鹿中公民館)
  • 「はーとふるがいど男鹿半島」(なまはげエリア創造委員会)
  • 「菅江真澄遊覧記」(内田武志・宮本常一、平凡社ライブラリー)
  • 「菅江真澄図絵集 秋田の風景」(田口昌樹、無明舎出版)
  • 寒風山ジオサイト | 男鹿半島・大潟ジオパーク 公式サイト 寒風山ジオサイト