本文へスキップ

令和3年度緑の交流集会(雄物川&高尾山)

 2021年8月7日(土)、「令和3年度秋田県緑の交流集会」が秋田市雄和地区の雄物川&高尾山を会場に開催された。参加者は、2団体29名。連日続く猛暑の中、その暑さを吹き飛ばすカヌー体験や、高尾山横長根からの眺望を借景に昼食、信仰と伝説の山・高尾山散策などを楽しんだ。
 秋田県緑の交流集会は、県内の校内緑化や森林・環境教育活動などに積極的に取り組んでいる学校、緑の少年団、ボーイスカウト等の児童生徒が、自然体験や共同生活を通じて交流を図りながら、水と緑を愛する心を育むことを目的に、毎年8月に開催している。
  • 主催/秋田県、公益社団法人秋田県緑化推進委員会
  • 協力/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン、秋田県森の案内人協議会、NPO法人秋田パドラーズ
  • 参加団体・・・ボーイスカウト秋田31団、マックスバリュー東北秋田緑の少年団
  • 開会式あいさつ・・・秋田県森林整備課加賀谷一樹班長
  • スタッフ紹介・・・秋田県緑化推進委員会金子智紀事務局長 
  • カヌー体験講師・・・NPO法人パドラーズ6名
  • 高尾山散策講師・・・秋田県森の案内人6名
  • ネイチャーゲーム、写真撮影等・・・秋田県森林学習交流館インストラクター3名
カヌー体験
  • 安全講習
  • ライフジャケット・・・ベスト型の救命胴衣で必ず着用する。 
  • カヌーとは・・・一般的に船首と船尾がとがっていて、パドルと呼ばれる漕ぎ棒によって進む船のこと。ボートは進行方向に背を向けて進むのに対し、カヌーは進行方向を向いて進むのが特徴。
  • パドルは、片側のみにブレードがついた「シングルパドル」を使用。前の人が左側を漕げば、後の人は反対の右側を漕ぐと真っすぐに進む。
  • カヌー発着場と川下りコース・・・雄物川には、発着場が27箇所ある。今回は、河畔林が豊かな種沢から妙法まで川を約5km下る。
  • 出発前に全員で記念撮影 
  • ライフジャケットを着用した子どもたちが、二人一組でカヌーに乗り込み、次々と雄物川に向かって漕ぎ出す。さあ~、冒険開始だ。 
  • カヌーの魅力は・・・カヌーに乗って川から眺める景色は、陸上の堤防側から眺めた景色とは全く異なる。その楽しみは・・・
    1. 変化に富んだ川の流れや河畔林の豊かな自然との一体化
    2. 水辺に浮かぶ鳥や水面を飛び交う昆虫、魚の目線で川の風景を楽しむことができる。
    3. 左右に蛇行する流れや瀬、淵など流れの変化を楽しむことができる。
    4. 川のゆらぎやしぶき、川面を渡る風、河畔林の木陰など、夏の涼感を存分に味わうことができる。
    5. カヌーを浮かべて釣りを楽しむなど、多彩な楽しみ方があるという。
  • カヌーに乗ってのんびり川下り・・・川面に浮かぶカヌーに乗って、セミの鳴き声や野鳥のさえずりに耳を傾け、時折水面を跳ねる魚(サクラマスか)や昆虫、カエルなど、様々な生き物たちを観察するのも楽しいことだろう。
  • 終点「妙法」発着場・・・約5kmの川下りを2時間余りかけて全員無事に到着。
  • 高尾山荘に移動し昼食。 
  • 高尾山荘からの絶景を眺めながら昼食・・・美しく蛇行する雄物川、緑の田んぼ、鎮守の森、遠くは奥羽山脈の山々を望む絶景を眺めながら、アカマツの木陰でおにぎり弁当と冷たいお茶をごちそうになる。この絶景を借景にするなら、カップラーメンでも美味しいに違いない。
高尾山散策
  • 高尾山登山口の鳥居・・・高尾山(383m)の山頂には、高尾神社奥宮があり、かつては山伏修験の霊場であった。この鳥居から奥宮まで600m、450の石段を上る。昔、女性は鳥居をくぐらず外側を通ったという。
  • 秋田市雄和地区のシンボル・高尾山の自然や、歴史、文化に詳しい森の案内人工藤 正さん(雄和ボランティアガイドの会、雄和の自然を愛する会)
  • 女人禁制時代の標柱には、「自是不可登女人」と刻まれている。「ここより女人は登ることができない」との意味である。
  • 女人結界門に立つ一対の狛犬(こまいぬ)・・・神社を守る霊獣・狛犬は、左右に一対の像で置かれている。左の狛犬をよく見ると、口を閉じ子どもを抱いていることからメスだという。ならば右の狛犬は、口を開けたオスだと分かる。右の狛犬は口を開けて「あ」と発声する形で、左は口を閉じて「うん」の形をしている。つまり「あうんの呼吸」を意味しているという。
  • 見る者を圧倒するブナの巨樹・・・工藤ガイドによれば、推定樹齢400年、地元では「神木」として崇められているという。一帯はスギ林になっているが、かつてはブナを中心とした広葉樹の森であったことが分かる。 
  • 米子伝説・・・保呂羽山(横手市大森町)を拠点として大きな勢力を築いた山賊・夜叉鬼が、戦に破れ高尾山麓の豪族・白石善五郎を頼り身を寄せた。夜叉鬼は、美しい娘・米子と恋仲となった。やがて大瀧丸が生まれ、夜叉鬼は高尾山を中心に大きな勢力となった。大瀧丸が青年になった頃、都から坂上田村麻呂を総大将とする大軍が蝦夷に攻めてきた。戦に敗れた夜叉鬼と大瀧丸は、男鹿半島へ逃げた。美しい米子は矢を射られて戦死。さらに男鹿半島にある寒風山周辺での戦で夜叉鬼、大瀧丸父子も戦死した。坂上田村麻呂は夜叉鬼親子の怨念を恐れ、高尾山の山頂に祠を設けて御霊を慰めたという。
  • 高尾山麓の「女米木」という地名は、もともと女米鬼であって、この伝説に由来する。
  • 史実では、坂上田村麻呂は秋田と青森まで来ていない。さらに自分たちの祖先である蝦夷が賊・鬼で、それを滅ぼした敵が英雄という歴史観は受け入れがたい。なのに、東北各地に田村麻呂伝説がやたら多い理由は・・・
  • 田村麻呂伝説が多い理由・・・中央に従わない蝦夷系の反乱を防ぐためには、中央文化の移植と同時に、「征夷」「武将」の英雄である田村麻呂伝説を東北各地に広め、強力な武家政権を推進していった。その結果、東北各地に田村麻呂伝説が数多く残ったものであろう。
  • 現在、女米木地区の祖先は縄文人~蝦夷であることが通説である。その後蝦夷と大和の混住となったものであろう。だからこそ地元では、中央から敵とみなされた「米子伝説」に由来する地名「女米木」を採用しているのであろう。  
  • 水飲み場・・・今は湧水量が少なく、飲むことができない。かつてブナを中心とした広葉樹の森に覆われていた時代は、冷たい湧水がコンコンと湧き出ていたことだろう。以降、苔むす石段を登って奥宮に辿りつく。 
  • 高尾神社奥宮・高尾山山頂・・・平成2年に改築。
  • 高尾山(383m)の南に位置する太平薬師(424m)は、雄和地区の最高峰で、かつて秋田藩と亀田藩の藩境であった。
  • 奥宮を守ってくれる存在としてゾウの彫刻が施されている。インドから伝わった仏教の影響と神仏習合の名残を感じる。 
  • 奥宮以降は、明るい広葉樹の森へと変化。木漏れ日と涼風を浴びながら下る。
  • 鬼の相撲取り場・・・高尾山には、米子伝説に登場する鬼が相撲を取った場所や男鹿に飛んだ時の鬼の足跡などが残っている。
  • ドローンに向かって手を振る参加者 
  • 鳥越・・・看板のある峠は、日本海からやって来る渡り鳥が通るルートになっていることから、地元では「鳥越」と呼んでいるという。
  • 折渡沼 (オリワタヌマ)を経て駐車場の広場に戻る。
会場周辺で出会った植物と昆虫
  • 外来種・オオハンゴンソウ
  • ゴマギの変種で本州の北部に分布するヒロハゴマギ、別名マルバゴマギ。川沿いの湿った場所にも生え、夏に真っ赤な実をつける。 
  • エゴノキ、オニグルミ 
  • キブシの実
  • アブラゼミ、エンマコオロギ 
  • キリギリス、カラスアゲハ 
  • オニヤンマ、ヤママユガの仲間・オオミズアオ
ネイチャーゲーム「カモフラージュ」
  • ネイチャーゲーム「カモフラージュ」・・・生きものたちは、敵から身を守るために、まわりに同化する色(保護色)になったり、色や形を周囲の他のものに似せたりして、カモフラージュしている。それを見つけることのできる観察力を養うゲーム。
  • ロープを張り、その内側に自然の中では絶対にない人工物を目立たないようにセットしてある。参加者は、お互いに話をせずに人工物を探し、その数を数え、終点にいる指導者にこっそり耳打ちをする。間違うと、もう一度、スタート地点に戻って再挑戦する。 
俳人石井露月と高尾山
  • 秋田が生んだ俳人石井露月は、高尾山麓女米木地区の出身である。だから彼の資料を集めた文庫は、「米女鬼文庫」と命名されている。
  • 高尾山荘には、彼がこよなく愛した高尾山横長根に登った時に詠んだ「秋立つか 雲の音聞け 山の上」の句碑が建立されている。
  • 露月と高尾山・・・「小説 露月と子規」より抜粋
     二十歳の初夏、露月は高尾山に登って唱え事をしていた。山の霊気が体の芯に分け入ってくる。足元には春に植えた杉苗二本が根付いている。彼はその成長を確かめるように杉苗に土をかけてやった・・・
     仁者は山を楽しむ、という。露月は、山を楽しむ仁者でありたい、と願っていた。
     高尾山を土地の人は女米木山という。八合目あたり横長根から東方を眺める。大平山と羽後の連山を借景に、眼下に雄物川と秋田平野の眺望が開けている。歩を移して鎮守の石段を登る。道々手に清水をすくって口にしながら頂上に辿りつく。北西には日本海が碧に波打ち、男鹿の島山が間近に迫る。南には鳥海山が正面にそびえ、保呂羽山に続く山伏の道が点在する。
     女米木は怪奇な物語を秘めた山紫水明の地であった・・・夜叉鬼伝説は祖父が夜ごと語ってくれた昔っこであった。
  • 石井露月は、明治6年(1873)5月17日に女米木に生まれた(上の写真は露月の生家)。明治21年、旧制秋田中学に入学したが、脚気を患い中退し文学を志して上京。正岡子規が主幹である「小日本」社に入社し、以後子規の門下となって本格的な俳句を学ぶ。その後医業に転じ医師試験に合格。
  • 参考:日本近代文学の偉人「正岡子規 」の名句・・・柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
  • 明治32年(1899)帰郷し、この地で開業する(上の写真は露月の住家)。明治33年には「俳星」を刊行するなど、以後晩年まで県内外の俳句界に影響を与え続けた偉人である。
  • 高尾神社里宮の大杉・・・神社の古さを物語る大杉の巨樹には圧倒される。看板の説明によれば、樹齢は千年以上でご神木として崇められているという。
  • 境内の句碑・・・花野ゆく 耳にきのふの 峡の聲(露月)
  • 高尾山から湧き出す「石巻の清水」を愛した露月・・・清水あふれて大川に注ぐなり 露月
  • 露月の声・・・「小説 露月と子規」のラスト抜粋
    高尾山のどこからか露月の声がする・・・
    --北方の自然に感ずる心の響きを一句に出来たか。
    --病む人、貧窮に苦しむ人を励まし得たか。
    --仁者は山を楽しむというが、真の仁者になり得たか。と。
閉会式・記念撮影
  • 閉会式・・・加賀谷班長の講評、子どもたちの感想発表が行われた。 
  • 俳人石井露月が愛した高尾山横長根の眺望を借景に記念撮影・・・こうした緑の交流集会を通して、ふるさとの森の恵みに感謝し、水と緑を愛する心の輪が一層広がることを期待したい~「木と共に 育てていこう みんなの未来/いつも こころに ゛みどりのはねを゛」 
参 考 文 献
  • 「小説 露月と子規」(工藤一紘、秋田魁新報社) 
  • 「高尾山ガイドマップ」(雄和ボランティアガイドの会)